こんにちは、やまなかです。
真夏の青空が広がる8月9日。長崎では午前11時2分になると鐘やサイレンが鳴り、多くの人が静かに祈りをささげます。それは、81年前の同じ時刻に奪われた一人ひとりの命を悼み、同じ惨禍を二度と繰り返さないと心に刻む時間です。
8月9日は「長崎原爆の日」「長崎原爆忌」と広く呼ばれます。そして長崎市は、この日を条例で「ながさき平和の日」と定めています。悲しい出来事を記憶するだけでなく、その記憶をこれからの平和へつなぐ日です。この記事では、8月9日に何が起きたのか、なぜ平和の日とされたのか、私たちにできることをたどります。

ながさき平和の日の基本情報
- 日付
- 毎年8月9日
- 時刻
- 午前11時2分に黙とう
- 別の呼び方
- 長崎原爆の日、長崎原爆忌
- 条例の施行
- 1995年(平成7年)3月23日
- 目的
- 被爆の悲惨さを忘れず後世へ語り伝え、世界の恒久平和を願うこと
- 主な行事
- 長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典、黙とう、長崎平和宣言
1945年8月9日、午前11時2分
1945年(昭和20年)8月9日、広島への原爆投下から3日後、長崎市の上空で原子爆弾がさく裂しました。時刻は午前11時2分。強烈な熱線、爆風、火災、そして目に見えない放射線が、浦上地域を中心に街と人々の暮らしを破壊しました。
長崎市の「歴史年表」には、当時まとめられた推定として、死者7万3,884人、重軽傷者7万4,909人、被災人員12万820人と記録されています。数字は被害の大きさを示しますが、その一つひとつに名前があり、家族があり、続くはずだった生活がありました。また、その後も放射線による病気や心身の傷に苦しんだ人々がいます。被害は一瞬で終わったものではありません。
現在も爆心地のほか、旧城山国民学校校舎、浦上天主堂旧鐘楼、旧長崎医科大学門柱、山王神社二の鳥居が「長崎原爆遺跡」として残されています。被爆した建物や構造物は、遠い歴史を伝える単なる展示物ではなく、あの日が実際の街で起きたことを今に伝える証しです。
1995年に「ながさき平和の日」を条例で制定
「ながさき平和の日」という名称には、長崎市の条例上の根拠があります。被爆50周年を迎えた1995年、長崎市は「ながさき平和の日条例」を施行し、8月9日を平和の日と定めました。
条例が掲げるのは、原爆による被爆の悲惨さを忘れず、後世に語り伝え、世界の恒久平和を願うことです。さらに市は、この日に原爆死没者を追悼して恒久平和を祈念する式典を行い、8月9日を中心に平和への意識を高める行事を進めるとしています。
「原爆の日」が起きた出来事を示す呼び方だとすれば、「平和の日」には、記憶を未来へ手渡していく意思が込められています。8月9日は祝日ではありません。楽しい出来事を祝う一般的な記念日とも異なります。立ち止まって亡くなった方々を悼み、核兵器と戦争が人間にもたらすものを考え、平和を選び続けるための日です。
平和祈念式典で受け継がれるもの
毎年8月9日には、長崎市の平和公園で「長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」が開かれます。2026年の式典は午前10時45分から11時45分まで。被爆から81年となる式典にも、被爆者や遺族の代表、来賓、一般の参列者らが集います。
式典では原爆死没者名簿が奉安され、水と花がささげられます。水を求めながら亡くなった方々を慰める献水には、深い追悼の意味があります。そして原爆がさく裂した午前11時2分、参列者と長崎の街は黙とうをささげます。
黙とうに続いて長崎市長が読み上げるのが「長崎平和宣言」です。被爆の実相と被爆者の願いを伝え、核兵器廃絶と世界恒久平和を国内外へ訴えます。式典は過去だけを振り返るものではなく、その時代の世界が抱える課題に向き合い、長崎から未来への意思を表す場でもあります。
なぜ午前11時2分に立ち止まるのか
普段、時計の時刻は次の予定へ動くための目印です。しかし8月9日の午前11時2分は、いったん動きを止めるための目印になります。原爆がさく裂した瞬間と同じ時刻を迎え、81年という年月の隔たりを越えて、当時そこにいた人々へ思いを向けるためです。
1分間の黙とうに、決まった言葉は必要ありません。亡くなった方を悼むこと、今も苦しみを抱える方を思うこと、同じことを繰り返さないと誓うこと。それぞれの場所で静かに考える時間です。仕事や事情で同じ時刻に黙とうできない場合も、8月9日のどこかで立ち止まることには意味があります。
長崎では8月9日だけでなく、毎月9日の午前11時2分に、被爆50周年記念歌「千羽鶴」が防災行政無線で放送されています。一年に一度だけ思い出すのではなく、月ごとに追悼と平和への願いを新たにする取り組みです。時刻を共有することが、街の記憶を日常の中で守る習慣になっています。
「忘れない」を、次の世代へつなぐ
被爆から長い年月がたち、体験を自らの言葉で語れる人は少なくなっています。だからこそ、証言や体験記、写真、遺品、被爆建造物を保存し、受け取った人がまた誰かへ伝える取り組みの重要性が増しています。
国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館では、原爆死没者の追悼に加え、被爆体験記や証言映像の収集、多言語化、朗読などが続けられています。そこに保存されているのは、出来事の概要だけではありません。その日を生きた人が何を見て、何を失い、その後をどう生きたのかという、一人ひとりの記憶です。
初めて学ぶときは、すべてを一度に理解しようとしなくてもかまいません。まず一人の証言を選び、被爆前にどんな暮らしをしていたのか、家族や学校、仕事が原爆によってどう変わったのかを丁寧にたどります。地図で爆心地との位置関係を確かめたり、現在の街並みと比べたりすると、歴史上の大きな出来事が、生活のあった具体的な場所で起きたこととして見えてきます。
資料に触れると、つらくなったり、すぐには言葉にできなかったりすることもあります。無理に感想をまとめる必要はありません。分からなかったことを残し、時間を置いて別の証言を読むことも学び方の一つです。知識の量を競うのではなく、語られた経験を軽く扱わず、受け止め続ける姿勢が継承につながります。
歴史を学ぶとき、出来事を知っただけで「分かった」と思わない姿勢も大切です。証言に耳を傾け、異なる立場の人と話し、自分なら何を受け継げるかを考える。小さく見えるその積み重ねが、「忘れない」という言葉を次の世代でも生きたものにします。
8月9日に私たちができること
長崎から離れた場所にいても、この日を過ごす方法はあります。大切なのは、決まった形をこなすことより、犠牲になった方々を思い、平和を自分の暮らしにつながる問題として考えることです。
- 午前11時2分に手を止め、静かに黙とうする
- 長崎市の平和宣言を読み、心に残った言葉を家族と話す
- 被爆者の証言映像や体験記に触れる
- 長崎原爆資料館や追悼平和祈念館について調べる
- 子どもと一緒に、なぜ8月9日に黙とうするのかを話す
- 身近な対立で相手の話を聞くことや、差別を見過ごさないことを意識する
平和という言葉は大きく、個人の行動では遠く感じることがあります。それでも、人の尊厳を守ること、事実を知ろうとすること、対話をあきらめないことは、日々の中で選べます。折り鶴を一羽折る、資料を一つ読む、誰かと話す。8月9日は、その最初の一歩を決める日にもできます。
8月9日の予定欄に、祈りの時間を
8月9日の午前11時2分は、「ながさき平和の日・黙とう」として静かに立ち止まる時間にします。その後に「証言を一つ読む」「平和宣言を家族と読む」など、自分にできることを一つ続けます。
長崎で起きたことを過去に閉じ込めず、今日の選択と未来の平和へつなげるために。年に一度立ち止まる時間を予定として残せば、忘れないという思いを来年、その先へと手渡していけます。
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