こんにちは、やまなかです。
真夏の朝、広島の街に鐘とサイレンが響きます。時刻は午前8時15分。立ち止まって目を閉じる人、平和記念公園で手を合わせる人、離れた場所から静かに祈る人がいます。8月6日は、広島に原子爆弾が投下された日です。
この日は「平和記念日」と呼ばれ、「広島原爆忌」「広島原爆の日」とも呼ばれます。過去の出来事を覚えるだけでなく、亡くなった方々を追悼し、被爆者の体験に耳を傾け、核兵器のない平和な未来を考える日です。

広島平和記念日の基本情報
- 日付
- 毎年8月6日
- 正式な呼称
- 平和記念日(広島市の条例による)
- 別の呼び方
- 広島原爆忌、広島原爆の日
- 原爆投下
- 1945年8月6日 午前8時15分
- 中心となる行事
- 広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式
- この日の意味
- 原爆死没者の追悼と世界恒久平和の祈念
「記念日」と聞くと、お祝いの日を思い浮かべるかもしれません。しかし、ここでいう「記念」には、出来事を心に刻み、忘れずに伝えるという意味があります。広島市平和推進基本条例は、1945年8月6日を世界平和樹立への礎として永久に忘れてはならない日とし、原爆死没者を追悼して世界恒久平和を祈るため、毎年8月6日を平和記念日と定めています。
平和記念日は国民の祝日ではありません。一方、広島市では条例上の「市の休日」で、市役所の業務は原則として休みになります。全国で同じ扱いになる休日ではなく、広島市が歴史と平和への責任を示すために定めている日だと理解すると、その位置づけが分かりやすくなります。
1945年8月6日、広島で何が起きたのか
1945年(昭和20年)8月6日午前8時15分、人類史上初めて戦争で使用された原子爆弾が広島に投下され、市の中心部上空約600メートルで炸裂しました。当時の広島には、住民だけでなく、軍人、建物疎開のため周辺地域から動員された人、朝鮮半島や台湾、中国大陸から来た人、留学生、米軍捕虜など、約35万人がいたと考えられています。
原爆は、強烈な熱線、爆風、放射線をほぼ同時にもたらしました。爆心地から半径2キロメートルまでの地域では、ほとんどの木造家屋が倒壊し、火災によって市街地は焼き尽くされました。熱線によるやけどや倒壊した建物だけでなく、目に見えない放射線も人の体を傷つけました。生き延びた人々にも急性障害が現れ、長い年月を経てから発症する病気や、生活上の差別など、被害はその後も続きました。
亡くなった方の正確な人数は、今も分かっていません。広島市は、放射線による急性障害が一応収まった1945年12月末までに、約14万人、誤差を含めると±1万人が亡くなったと推計しています。「14万人」は一瞬の死者数ではなく、投下当日からその年の末までに亡くなった方を含む推計です。一つの数字の背後に、それぞれ名前と暮らしを持つ人がいたことを忘れないようにしたいものです。
追悼の日から、平和を世界へ伝える日へ
被爆後の広島では、生活を立て直す一方で、犠牲者を悼み、平和を願う取り組みが始まりました。被爆から2年後の1947年8月6日には「平和祭」が開かれました。1950年は中止となりましたが、1951年から「原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式」となり、現在へ受け継がれています。
1949年8月6日には、住民投票での賛成を経た「広島平和記念都市建設法」が公布・施行されました。この法律は、広島を恒久平和の理想を象徴する都市として建設することを目的に掲げています。都市の復興を、元の姿に戻すだけでなく、世界へ平和を発信するまちづくりへ結びつけた重要な節目でした。
その理念を目に見える形で伝えているのが平和記念公園です。園内の原爆ドームは、かつて広島県産業奨励館だった建物で、爆心地近くに残った被爆建物です。保存を望む人々の努力によって残され、1996年にユネスコ世界遺産へ登録されました。破壊の力を伝えると同時に、世界平和と核兵器廃絶への願いを表す存在として、今も川辺に立ち続けています。
平和記念式典と8時15分の黙とう
毎年8月6日の朝、平和記念公園の広島平和都市記念碑、一般に原爆死没者慰霊碑と呼ばれる碑の前で、平和記念式典が行われます。正式名称は「広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式」です。式典は午前8時に始まり、原爆死没者名簿の奉納、献花、黙とう、平和宣言、こども代表による「平和への誓い」などが続きます。
原爆が投下された午前8時15分には、平和の鐘とサイレンに合わせて1分間の黙とうが行われます。式典会場だけでなく、家庭や職場など、それぞれの場所で哀悼の意を表し、恒久平和を願う時間です。広島にいなくても参加できます。黙とうが難しい状況なら、時刻の前後に静かな時間を取り、なぜ鐘が鳴るのかを考えることも一つの向き合い方です。
式典で奉納される原爆死没者名簿には、原爆で亡くなった方や、その後に亡くなった被爆者の氏名、死没年月日、年齢が記されます。国籍や被爆者健康手帳の有無は問われません。記帳は1952年に始まり、新たに死亡が確認された方の名前が毎年加えられます。名簿は、被害を大きな数字だけで捉えず、一人ひとりを悼み続ける営みでもあります。
平和宣言と「平和への誓い」が伝えるもの
黙とうの後、広島市長が読み上げる平和宣言は、核兵器の廃絶と世界恒久平和の実現を訴え、世界各国へ送られます。過去を振り返るだけの文章ではなく、その時点の国際情勢や被爆者の言葉を踏まえ、今の社会へ何を求めるのかを示すメッセージです。年ごとの宣言を読み比べると、変わらず訴え続けてきた願いと、時代に応じて深まった課題の両方が見えてきます。
こども代表による「平和への誓い」は、記憶を次の世代が受け取り、自分たちの未来へつなぐ場面です。被爆した人だけに継承の役目を任せるのではなく、体験していない世代も資料を学び、想像し、言葉にして伝えていく。その積み重ねが、記憶の風化を防ぎます。式典を見るときは、式次第だけでなく、この二つの言葉にも耳を傾けてみてください。
「知る」ことから始める、8月6日の過ごし方
8月6日に大切なのは、決まった行動を形式的にこなすことではありません。知らなかった事実を一つ学び、自分の言葉で誰かと話し、次の世代へつなぐことが平和を考える入口になります。
- 午前8時15分に、原爆死没者を悼んで1分間黙とうする
- 広島市長の平和宣言や、こども代表の「平和への誓い」を読む
- 広島平和記念資料館の資料や、被爆者の証言に触れる
- 家族と「平和とはどのような状態か」を話してみる
- 戦争や核兵器について、出典の確かな資料を一つ読む
- 学んだことを、日付と一緒にノートへ残す
被爆体験を直接語れる人は年々少なくなっています。だからこそ、証言や遺品、写真、記録を受け取る側の姿勢が大切です。悲惨さだけを切り取るのではなく、被爆者がどのように生き、その体験をなぜ語り続けてきたのかにも目を向けると、出来事は遠い歴史ではなく、今を生きる私たちへの問いとして感じられます。
8月6日、平和について考えたことを残す
カレンダーの8月6日の欄に、「8時15分 黙とう」と記してみませんか。その下に「平和宣言を読む」「家族と話す」など、自分ができることを一つ添えます。短い予定でも、当日を忘れずに迎える助けになります。
平和は、戦争が起きていないという言葉だけで完成するものではありません。一人ひとりの命と尊厳が守られ、恐怖のない日常を送れることを願い、そのために何ができるかを考え続ける必要があります。8月6日は、広島で失われた多くの命を悼み、受け継がれてきた記憶に耳を澄ませ、同じ惨禍を繰り返さないという意思を次の日へ手渡す日です。
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